日本遺産。大山牛馬市ってなに?
日本遺産に「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」が認定を受けました。
この牛馬市がある大山(だいせん)ってどんなところなのか?
また大山の牛馬市とはなにか、そして日本遺産とは?どんなものなのか調べてみました。
日本遺産とは
(1)我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定
「日本遺産(Japan Heritage)」は,地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。 文化庁HP
なるほど、日本遺産はただ場所だけを認定するのではなく、その地域の歴史や文化などのストーリーを認定する制度なんですね。
増える外国人旅行者を地方に呼び込む受け皿としても期待されています。
大山(だいせん)とは
大山とは標高1709m(1729m)の山で、中国地方最高峰です。
見る場所によって、見える形がまったく違い、北から見ると富士山のように美しい末広がりの形ですが、南からみる大山は荒々しく、同じ山とは思えないほどです。
1936年には国立公園に指定されており、春は新緑、夏は登山、秋は紅葉、冬はスキーなど季節によって様々な自然を体験できます。
ちなみにNHKの日本の名峰ランキングで、1位富士山、2位槍ヶ岳、そして第3位に「大山」というランキングになったこともある人気の山です。
今回の日本遺産に指定された物語の主な文化財・場所には、大神山神社奥宮、大川寺本堂、博労座、大山道などがあります。
また2018年には大山開山1300年(大山寺の創建が718年)を迎えます。
2018年に向けて「伯耆国『大山開山1300年祭』準備委員会」が設立され、様々なイベントが開催される予定です。
大山の場所
鳥取県の西部に位置します。岡山県の北、島根県の東です。
日本海も近く、大山から見下ろす弓ケ浜半島は絶景です。
「牛馬市」とは
そもそものはじまりは平安時代
大山は出雲風土記に出てくる山で、文献における日本最古の神山です。
大山寺の地蔵菩薩には古くから多くの人が参拝して、西日本各地から人が集まりました。
平安末期、大山寺の甚好上人(きこうしょうにん)が、大山寺の地蔵菩薩が牛馬を守ってくださることを伝え、護符(お守りのようなもの)を配りました。それが評判となり遠くから護符をもらいに来る人がたくさん来ました。それが大山の牛馬市の始まりです。
甚好上人はとても偉いお坊さんで、教科書にも出てくる栄西のお師匠さんと言われています。
臨済宗の開祖、建仁寺の開山。廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られる。~~伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学ぶ。
Wikipedia→栄西
牛馬市は江戸時代
その後鎌倉時代以降、次第に牛や馬を売り買いする人が増え、1726年に大山寺境内の一角に牛馬市がたてられました。これは山奉行の吉川右平太が願い出たもので、牛馬市が開かれる期間限定で売買ができるようにしたものです。
牛馬市は最初は5月の年1回だけでしたが、人気になるにつれ、徐々に回数も増え、4月、5月、7月、9月、10月と年5回の開催となります。
日本三大牛馬市
大山寺の庇護のもと市は栄え、福島の「白河馬市」、広島の「久井牛市」と並ぶ日本三大牛馬市の1つとして知られました。
そして明治中頃には年間1万頭以上の牛と馬が売買される、国内最大の市になるほど栄えました。その後昭和12年頃まで市は続いたと言われています。
その当時の牛馬市は牛の売り買いや屋台で賑わい、全国各地からたくさんのお客さんが集まったそうです。42あった宿坊も足りず、野宿や小屋を作って泊まるものもあらわれるほどでした。
今でも残る文化
大山を目指し、多くの参拝者や牛馬の往来でにぎわった大山道には、石畳道や宿場の町並み、農村の景観がまだ残り、「大山おこわ」などの食文化など独自の文化が息づいています。
大山寺には宝牛といわれる像があり、牛をなでると願いが叶うという牛の像があります。
編集後記
改めて大山博労座牛馬市について調べてみましたが、知らないことがたくさんありました。鳥取県西部に住む人にとって大山は身近な山ですが、地元の人でも牛馬市については良く知らない人もいます。日本遺産に認定されたことにより、大山の認知度が高まり、多くの人が鳥取の大山を知って、訪れてくれるとうれしいです。
是非1度鳥取県大山に来てくださいね。
参考文献:博労座 大山牛馬市の歴史 亀尾八洲雄
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