鳥取マガジンのLINE@の友だち募集中。詳細はここをクリック

[金持神社観光]金持ちのご利益がアップ?「金持景藤の墓」この地が生んだ歴史的な人物

[金持神社観光]金持ちのご利益がアップ?「金持景藤の墓」この地が生んだ歴史的な人物

今回は、金持神社と一緒にここに参ればさらにご利益が増すかもしれない??日野町金持にあります「金持景藤(かもちかげふじ)」の墓を紹介します。

 

日野町の人でも行ったことはない、場所は知ってるけど行ったことはないという人も多いと思われる、町民ならではのおすすめスポットです。

 

金持神社の記事でも少し紹介しましたが、この地は全国の金持姓の発祥の地とも言われています。金持神社駐車場近くの碑文の説明中にも登場する、金持大和守景藤公のお墓とされる、宝篋印塔が近くにあります。

 

今回の記事は、鳥取マガジン田中(ブログ:さまよえない田中)が書いています。

 

スポンサーリンク

金持景藤の墓の場所・アクセス

金持神社から1㎞ほど岡山県方面に行ったところ。国道181号線沿いの小高い丘の上にあります。意識していれば国道からでも見えます。

 

根雨方面からくると金持上橋を渡って少し行った左手になります。


地図上で検索してもうまくピンがささりませんでした。

 

この地図の金持神社の場所から1キロほど岡山方面へ行ったところにあります。

 

国道沿いには案内が出ていますが、このすぐ近くには車を停めるところはありません。金持上橋付近の路肩が広くなっているところに停めるのがよいかと思います。

 

道の反対側には自動販売機のあるスペースもあります。

スポンサーリンク

金持大和守景藤公

金持景藤は、この地の豪族だったひとです。

 

金持景藤は、足利幕府の倒幕に失敗し隠岐島へ流刑となった後醍醐天皇が、隠岐島を脱出し船上山に身を寄せられた際に、金持妙見社の戸張を旗印とし、金持党300余騎を引き連れ馳せ参じた。

天皇京都へ遷幸の折には天皇の左に錦の御旗を掲げ従った。天皇の親任厚く大和守に任ぜられ、軍政の要職にあたり、終始天皇に誠を盡(つく)した。

ー宝篋印塔横にある碑文より要約抜粋ー

名和長利公とともに、山陰が誇るべき人物のひとりです。




金持景藤公のお墓

国道から丘の上に登ると、松の木の影にお墓の宝篋印塔が見えてきます。

 

2009年に景藤公生誕700年を記念して、墓地を整備し、碑が建立されたそうです。

 

この塔は、公の家臣が鎧を持ち帰り、当地堂ヶ平ルの丘に埋葬し供養した宝篋印塔である。その後片目の白蛇が公を守るかのようにたむろしていたと伝えられている。ー碑文よりー

金持神社に参拝される人でも、ここに立ち寄る人は少ないと思います。国道沿いの丘の上、この地で生まれた歴史的な人物のことに思いを馳せてみるのもおすすめです。

 

金持神社の記事はこちら↓

開運・金運祈願なら!「金持神社」日本一の名前の神社で【日野町】

 

【日野町】ボリューム満点のチャンポン、唐揚げも美味しい【味処 四季】

 

 

田中正之

鹿児島県生まれ、鳥取大学農学部卒。海外青年協力隊でパプアニューギニアに赴任。鳥取県日野町にて農業を営む(現在は育休中)。おむつなし育児、冷蔵庫・洗濯機なし生活、影絵楽団などにも。著書に1年の間、世界一周新婚旅行を敢行した体験を綴った「さまよえる田中」。

ブログ:さまよえない田中