鳥取県砂防治水事業の黎明期に整備された大山町地内の施設や、その記念碑をご紹介します。
現在鳥取マガジンで、砂防治水のお知らせや防災・お役立ち情報などを定期的に発信しています。これらの情報は鳥取県治山砂防課のインスタグラムでも更新されています。あわせてご覧ください。
坊領川 川替え改修碑、川替え地蔵群
坊領川 川替え改修碑の付近には軍帽をかぶって靴をはいた姿のお地蔵さんが並んでいます。このお地蔵さんは、日清戦争出征兵士の武運長久を祈ったものと言われています。
これらのお地蔵さんは、元々大山町地内の別の箇所にあったものですが、大正10年坊領川大改修の工事完成を機会に現在地に移されたので”川替え地蔵”と呼ばれるようになりました。
大山寺への参拝道となっていた坊領道の周辺にあり、大山寺への道のりにはたくさんの石仏地蔵が見られます。
砂防の父・赤木正雄博士の石碑
大山町佐摩に砂防の父・赤木正雄博士の石碑があります。
赤木正雄博士は、兵庫県出身で治水・砂防事業に生涯を捧げ、砂防技術の普及・推進に貢献した人物です。「砂防の父」と言われています。大山町の阿弥陀川治水防水事業に携わるなど、鳥取県でもさまざまな河川工事の援助と指導を行いました。
赤木正雄博士の功績を讃え、感謝の意を込めて地元住民が中心になって、昭和36年「有備則患無(そなえあればうれいなし)」石碑が建立されました。
阿弥陀川 砂防堰堤群
河口から上流約8kmの阿弥陀川と鈑戸川(たたらどがわ)合流地点から1.6kmの区間に、戦前(昭和8年から16年)に建設された堰堤が17基あります。
生い茂った草で見えにくいですが、阿弥陀川を横断する複数の堰堤のうち17基は戦前に整備されたものです。
阿弥陀川は、中国地方最高峰の大山を源とし、ほとんど一直線に日本海に入る県内有数の”暴れ川”で、付近の住民は度重なる災害に悩まされていました。これに対し、当時の鳥取県会議員中津尾勇氏は農林水産省へ相談し、当時山林局治水専門技官だった赤木正雄氏を紹介され(大山町誌より引用)、赤木氏の助言指導のもと、これらの堰堤が整備されました。
佐陀川金門峡堰堤
大山における砂防事業の歴史は古く、大山寺が開かれた頃、金蓮上人が金門を切り開いて大山寺集落を守ったのが最初と言われています。
江戸時代には、鳥取藩の山奉行により水源産地の取り締まりや、土砂流出を防ぐための植栽が行われました。
金門橋堰堤は、大正6年(1917年)に整備された鳥取県における最初の近代的な砂防設備です(管理者 鳥取森林管理所)
鳥取県では、土砂災害による被害を防ぐため、土砂災害対策工事や施設整備などの対策をしています。これらと併せて住民一人一人がいざという時、命を守るためにどのような行動をするのか?危険地域はどこなのか?住民自らが日頃から備えていくことが重要です。
ハザードマップなどを通して、災害リスクをあらかじめ確認できます。皆さんも一度確認し、土砂災害について考えてみてください。
→ 鳥取県土砂災害ポータル https://www.pref.tottori.lg.jp/239601.htm
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(データ・写真など上記情報は記事作成時点のものです。変更ある場合がありますので参考程度にお願いします。)